Friday, July 23, 2010

パターン祭り2010 招待講演「学習パターン」(3)


僕ら教員が大学のカリキュラムをつくるというのは、こういうふうに学んだらいいよ、ということを決めて、示すことです。そして、制度として枠をはめる。このようなカリキュラム制作者というのは、ある種、建築家のような存在と言えます。個々の「建物」が個々人の「学び」、「まち」が「学びのコミュニティ」だと考えれば、わかりやすいでしょう。カリキュラム制作者というのは、建物とまちを設計するのに似ているところがあります。どちらも、そこで起こる出来事を誘発する環境を設計することです。まちづくりの場合と同じように、そこで活動する学生は多様なので、その多様性を認めつつ、全体としてまとまりのあるデザインをする必要がある。

僕らの学部、慶應義塾大学SFCでは、1年生から4年生まですべての学生が自分の好きな科目を履修することができます。学年や専攻の縛りがないんです。いわゆる理系の科目から文系の科目まで、非常に多くの科目が提供されていて、そのなかから、そのときどきの自分に必要な科目を選択・履修していきます。このようなカリキュラムにおける学びを支援するには、いろいろな方法が考えられます。たとえば、「この科目とこの科目をセットで履修するといいよ」というような「定食メニュー」を提示する方法があるでしょう。でも、僕は、この方法は学ぶ人の思考を奪ってしまうので、あまりよくないと考えています。

それではどうすればいいのか。少し抽象的に考えて、「学び方」を学ぶ支援をするということはできないだろうか。そういうことを考えて、パターン・ランゲージでいこう、ということにしました。このパターン・ランゲージによる方法は、間接的な支援なのですが、直接的で思考停止を生むよりもよいと考えました。少なくとも実験的に導入する価値はある。

それでは、ここで、「学習パターン」というパターン・ランゲージが、どのようなものなのかを、紹介していくことにしましょう。この冊子『Learning Patterns』には、僕らが考えた40個の学びのパターンが書いてあります。この40個は構造化されていて、1個、3個、36個で、合わせて40個という構造になっています。トップレイヤーの1個が全体を包括し、次のレイヤーの3個がその下の36個を束ねている、というかたちになっています。

さて、いくつかのパターンを具体的に紹介しましょう。
「まずはつかる」(学習パターンNo.7)。まずはつかってみて、どっぷりつかって、そこから始めるんだよ、というパターンですね。

「「まねぶ」ことから」(学習パターンNo.8)。「学び」という言葉は、「まねる」という言葉から来ていて、「まねぶ」ということです。「まねぶ」ことから、型を得て、そうして初めて型破りができるようになる。

「アウトプットから始まる学び」(No.13)。これは、インプットして最後に応用する、という旧来型の順番ではなく、まずなにがしかのアウトプットした上で、その経験を振り返り、自分が知らなかったこと、うまくできなかったことを学んでいく、というやり方です。

「学びの共同体をつくる」(No.28)。これは、「学び」というと、個人的な営みのように考えがちだけれども、複数人で学ぶことのメリットもある、という話です。

「「書き上げた」は道半ば」(No.35)。これは、「できたー!」と思った瞬間は、実はまだ半分で、そこから今度は読者にとって読みやすくなる文章にするための推敲が始まる、ということです。書きあげた段階をゴールとして設定してしまうと、締切の時にはまだ道半ばだった、というまずい事態になってしまう。実はこのパターンは、井庭研でこれまでに幾度となく言及されてきたパターンです。

「ゴール前のアクセル」(No.36)。人間という生き物は、ゴールに近づいて達成しそうになると、脳がブレーキをかけるんですね。行き過ぎないように。そうすると、ゴール前で前に進めなくなって、間際で達成できない、ということがしばしば起こります。そうならないためには、ゴールが近づいてきた段階で、次のゴールを設定し、今のゴールを通過点として捉え直すことで、今のゴールを減速することなく達成・通過できる、ということが知られています。


学習パターンには、このような具体的な学びのコツが書かれています。コツといっても様々なレベルのものがあって、学び始めの段階から、何かを生み出すという段階のものまであります。この冊子『Learning Patterns』には、こういうパターンが40個収録されているんです。


Tuesday, July 20, 2010

パターン祭り2010 招待講演「学習パターン」(2)

今日の講演では、学習パターンとはどういうもので、それがどのようにつくられたのかをお話しするのですが、その前に少しだけ触れておきたいのが、「アレグザンダーと老子」という話です。こういう話に深入りすると「地雷を踏むよ」と、親切なアドバイスを先ほどいただいたので少しだけにしようと思いますが(笑)、お話ししたいと思います。
なぜ、アレグザンダーが老子の影響を受けているという話から始めるのかというと、パターン・ランゲージという手法が単なる「ノウハウ」を記述する一手法だと思われがちだという背景があります。僕の考えでは、パターン・ランゲージは単なる手法なのではなく、その背後にある思想・哲学がとても重要だと思うのです。


パターン・ランゲージの考え方を生み出したクリストファー・アレグザンダーが、実際にどのように老子や「タオイズム」に影響を受けたのかはわかりませんが、僕のみるところでは、かなり影響を受けている。例えば、パターン・ランゲージのカタログの中に、こういう絵が出てくるんですね。これは、まさにタオでいう「陰」と「陽」の図ですね。もちろん、『時を超えた建設への道』の原題である『The Timeless Way of Building』の“Way”というのは、「道」であり「タオ」(Tao)のことです。その本のなかにも、「門」(Gate)という言葉が出てくるし、書かれ方そのものが、老子から強い影響を受けているように見える。これは単に、表面的な類似性の問題ではなく、パターン・ランゲージがもっている思想・哲学につながっている点に注目したい。
そこで、まず老子がどういう状況で何を考えたのか、ということから振り返ってみたいと思います。老子が生きた時代というのは、孔子たち賢者・儒家の時代で、鉄の登場によって農業や戦争のやり方、そして国の治め方が激変した時代です。つまり、人間の力の及ぶ範囲や規模が拡大し、人為による統治が重視された時代だったわけです。そのような時代に、人間にできることにはかなりの限界があるから、人為による統治なんてむしろ世の中を混乱させるだけだ、と老子は言うわけです。そして、人為によるのではなく、もっと自然がもつ「自ずと然る」力を重視すべきだ、というわけです。「自然」という言葉は「自ずと然る」と書きますね。老子は、。ね、essお。ね、essそういう自然の宇宙造化の営みを重視して人間は生きていくべきだ、と考えたんですね。
孔子を始めとする当時の主流の考え方は、「主体性」を重視し、理性で考えることを推奨していました。孔子、賢く生きるためには具体的にこうすべきだという具体的な《道》を示したわけです。これに対して、老子は、そういう具体的な《道》ではなく、より大きな全体としての自然の力としての「道」を唱えました。孔子のように具体的にああしろ、こうしろ、とは言わないわけです。そういう具体的なことをいう《道》ではない「道」を説いたんですね。ここが、老子の思想・哲学の重要なポイントです。


ここでいう「道」は、英語では“Way”(大文字のWで始まる)と訳されたり、“Tao”と訳されたりしますが、どちらにしても、老子がいう“Way”=“Tao”というのは、永久不変、つまり“Timeless”なものです。アレグザンダーの『The Timeless Way of Building』のタイトルに“Timeless”や“Way”という言葉が入っているのは、単なる偶然の一致ではなく、思想・哲学的なつながりがあることを示していると言っていいでしょう。
また、アレグザンダーの『時を超えた建設の道』には、「名づけ得ぬ質」という言葉がでてきます。これも老子の考えに通じる考え方です。名前をつけられるようなものは、識別できるものであるわけですが、逆に言えば、区別し識別できないものは、名づけることができない。老子は、我々が触知可能な世界の背後にある宇宙造化の営みのことを“Way”と呼んだのであり、それは本来識別したり名づけたりすることができないものです。本来は名づけ得ぬものであるものを、あえて“Way”と名づけた。


「理解しないように道を理解せよ。」———これは老子の言葉ですが、こういう言い方がいかにも象徴的で、逆説的なあるいは循環的な記法で書かざるをえないような対象を捉えようとしています。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない、というような書き方になっている。実はこのことは、老子だけでなく、アレグザンダーにも言うことができる。パターン・ランゲージが捉え・記述しようとしたものも、まさに「名づけ得ぬ」ものです。


実際、パターン・ランゲージで書かれていることは、経験していれば生き生きと理解できるけれども、経験がなければ理解が難しい、という一面がある。このあたりからも、パターン・ランゲージというのは、単に暗黙的な「ノウハウ」を、この形式で書けば、伝達可能性が高まりますよ、というような話ではないことがわかると思います。パターン・ランゲージというのは、本当は記述できない、名づけ得ぬ「自ずと然る」全体性を、あえて記述するという試みなのです。

今日の話のメインは、この部分ではないので、そろそろ学習パターンの話に戻りましょう。学びというのは、本来は自ずと成長していくという事態をさして、そういうわけですね。それを、教育方法論ということになると、「こうやれば上手くいく」といった「型」を外からあてがって、はめ込む、というような話になりがちです。学習パターンが目指す世界というのは、そういう外からの押しつけの、人為による学びの統治ではないんですね。そうではなく、自分たちで自分たちの学びをデザインし、実践する。各人が「自ずと然る」ように学ぶには、どうしたらよいのか。そして、さらにいうと、各人がそのように学ぶことが、学びのコミュニティを活性化し、かたちづくることになる。そういうことを支援するためのメディア、言語をつくること。これが、学びのパターン・ランゲージとしての「学習パターン」の使命である。僕らは、そう考えています。

Source: 「パターン祭り:AsianPLoP2010の報告と展望」招待講演(2010年6月19日、早稲田大学西早稲田キャンパス)
Edit: 講演・加筆修正:井庭 崇, 文字起こし:坂本 麻美

Monday, July 19, 2010

パターン祭り2010 招待講演「学習パターン」(1)

しばらく更新が滞っていた、この「学習パターン ブログ」ですが、久々に再開したいと思います。先日、「パターン祭り2010」というイベントで、学習パターンの制作プロセスを話す機会がありました。そこで話した内容を連載していきたいと思います。基本的には、講演で話した流れのままですが、文章で読んだときに読み物として成り立つように、大幅な加筆修正をしています。


2010619日、早稲田大学西早稲田キャンパス)

招待講演「学習パターン 〜学びのパターン・ランゲージ〜
(井庭 崇 + 学習パターンプロジェクト)

こんにちは、井庭です。今、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)で教員をしておりまして、今回紹介させていただく「学習パターン」(Learning Patterns)というパターン・ランゲージを作成しました。この「学習パターン」は、学生の学びの支援に、パターン・ランゲージの方法を活かせないかということを考えて2008年に制作し、2009年からオフィシャルなガイドブックとして約3600人の学部生に配っている、というものです。
 あいにく、配布した年度に私がサバティカルで海外に行ってしまったので、普及の方が今一歩進んでいないという現状でして、そのあたりを今後注力して進めていきたいと思っています。ただ、この「学習パターン」は、Twitter等を通じて、学外の方からもかなりの反響があったので、そういう方々にも使っていただけるように、一部の内容を一般化して、この白い冊子のバージョンもつくりました。

学習パターンをつくったのは、ひとりひとりが「自らの学びをデザインする」ということを支援したかったからです。「学び方」というのは試行錯誤のなかで身につけていくものだと思いますが、その試行錯誤を何らかの方法で支援することができないか。学習者の“How to Learn”ということを学びながら何かを学ぶ、という複雑な事態に対して、それを下支えするメディアをつくることはできないだろうか、そう考えたわけです。

僕ら教員が学生に学んでほしいことというのは、必ずしもすぐに使える知識やスキルということだけではなく、今後生きていく何十年もの間に、自分で学んでいける力をつけることだと思っています。私たちの生きている世界/社会はどんどん変化する。そのような変化のなかで、さらなる知識を身につけ、スキルアップをはかることができるような、そういう力をつけてほしいと思っている。そうであるからこそ、「学び方」というものを、なんとかして伝えることはできないか。その難問に挑むのが、「学習パターン」の試みなんです。

本題に入る前に、ひとつだけ、注意を促しておきたいのは、「学習パターン」を「教育」のパターンだと思われる方が多いのですが、僕は、「学習=学び」は「教育されること」とは違う、と思っています。“learning”と“education”は、セットで語られることが多いのですが、学びは、教育がなくても、成り立つ。つまり、「自分で学ぶ」こともできるわけです。教育は、学びを促す一つの手段にすぎない。このことは、本質的に重要です。学習パターンは、教育とか教授法のパターンではなく、1人ひとりの人が「学ぶ」ことを支援するパターン・ランゲージなのです。この点は、強調しておきたいと思います。

……つづく。

(講演・加筆修正:井庭 崇, 文字起こし:坂本 麻美)