Tuesday, July 20, 2010

パターン祭り2010 招待講演「学習パターン」(2)

今日の講演では、学習パターンとはどういうもので、それがどのようにつくられたのかをお話しするのですが、その前に少しだけ触れておきたいのが、「アレグザンダーと老子」という話です。こういう話に深入りすると「地雷を踏むよ」と、親切なアドバイスを先ほどいただいたので少しだけにしようと思いますが(笑)、お話ししたいと思います。
なぜ、アレグザンダーが老子の影響を受けているという話から始めるのかというと、パターン・ランゲージという手法が単なる「ノウハウ」を記述する一手法だと思われがちだという背景があります。僕の考えでは、パターン・ランゲージは単なる手法なのではなく、その背後にある思想・哲学がとても重要だと思うのです。


パターン・ランゲージの考え方を生み出したクリストファー・アレグザンダーが、実際にどのように老子や「タオイズム」に影響を受けたのかはわかりませんが、僕のみるところでは、かなり影響を受けている。例えば、パターン・ランゲージのカタログの中に、こういう絵が出てくるんですね。これは、まさにタオでいう「陰」と「陽」の図ですね。もちろん、『時を超えた建設への道』の原題である『The Timeless Way of Building』の“Way”というのは、「道」であり「タオ」(Tao)のことです。その本のなかにも、「門」(Gate)という言葉が出てくるし、書かれ方そのものが、老子から強い影響を受けているように見える。これは単に、表面的な類似性の問題ではなく、パターン・ランゲージがもっている思想・哲学につながっている点に注目したい。
そこで、まず老子がどういう状況で何を考えたのか、ということから振り返ってみたいと思います。老子が生きた時代というのは、孔子たち賢者・儒家の時代で、鉄の登場によって農業や戦争のやり方、そして国の治め方が激変した時代です。つまり、人間の力の及ぶ範囲や規模が拡大し、人為による統治が重視された時代だったわけです。そのような時代に、人間にできることにはかなりの限界があるから、人為による統治なんてむしろ世の中を混乱させるだけだ、と老子は言うわけです。そして、人為によるのではなく、もっと自然がもつ「自ずと然る」力を重視すべきだ、というわけです。「自然」という言葉は「自ずと然る」と書きますね。老子は、。ね、essお。ね、essそういう自然の宇宙造化の営みを重視して人間は生きていくべきだ、と考えたんですね。
孔子を始めとする当時の主流の考え方は、「主体性」を重視し、理性で考えることを推奨していました。孔子、賢く生きるためには具体的にこうすべきだという具体的な《道》を示したわけです。これに対して、老子は、そういう具体的な《道》ではなく、より大きな全体としての自然の力としての「道」を唱えました。孔子のように具体的にああしろ、こうしろ、とは言わないわけです。そういう具体的なことをいう《道》ではない「道」を説いたんですね。ここが、老子の思想・哲学の重要なポイントです。


ここでいう「道」は、英語では“Way”(大文字のWで始まる)と訳されたり、“Tao”と訳されたりしますが、どちらにしても、老子がいう“Way”=“Tao”というのは、永久不変、つまり“Timeless”なものです。アレグザンダーの『The Timeless Way of Building』のタイトルに“Timeless”や“Way”という言葉が入っているのは、単なる偶然の一致ではなく、思想・哲学的なつながりがあることを示していると言っていいでしょう。
また、アレグザンダーの『時を超えた建設の道』には、「名づけ得ぬ質」という言葉がでてきます。これも老子の考えに通じる考え方です。名前をつけられるようなものは、識別できるものであるわけですが、逆に言えば、区別し識別できないものは、名づけることができない。老子は、我々が触知可能な世界の背後にある宇宙造化の営みのことを“Way”と呼んだのであり、それは本来識別したり名づけたりすることができないものです。本来は名づけ得ぬものであるものを、あえて“Way”と名づけた。


「理解しないように道を理解せよ。」———これは老子の言葉ですが、こういう言い方がいかにも象徴的で、逆説的なあるいは循環的な記法で書かざるをえないような対象を捉えようとしています。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない、というような書き方になっている。実はこのことは、老子だけでなく、アレグザンダーにも言うことができる。パターン・ランゲージが捉え・記述しようとしたものも、まさに「名づけ得ぬ」ものです。


実際、パターン・ランゲージで書かれていることは、経験していれば生き生きと理解できるけれども、経験がなければ理解が難しい、という一面がある。このあたりからも、パターン・ランゲージというのは、単に暗黙的な「ノウハウ」を、この形式で書けば、伝達可能性が高まりますよ、というような話ではないことがわかると思います。パターン・ランゲージというのは、本当は記述できない、名づけ得ぬ「自ずと然る」全体性を、あえて記述するという試みなのです。

今日の話のメインは、この部分ではないので、そろそろ学習パターンの話に戻りましょう。学びというのは、本来は自ずと成長していくという事態をさして、そういうわけですね。それを、教育方法論ということになると、「こうやれば上手くいく」といった「型」を外からあてがって、はめ込む、というような話になりがちです。学習パターンが目指す世界というのは、そういう外からの押しつけの、人為による学びの統治ではないんですね。そうではなく、自分たちで自分たちの学びをデザインし、実践する。各人が「自ずと然る」ように学ぶには、どうしたらよいのか。そして、さらにいうと、各人がそのように学ぶことが、学びのコミュニティを活性化し、かたちづくることになる。そういうことを支援するためのメディア、言語をつくること。これが、学びのパターン・ランゲージとしての「学習パターン」の使命である。僕らは、そう考えています。

Source: 「パターン祭り:AsianPLoP2010の報告と展望」招待講演(2010年6月19日、早稲田大学西早稲田キャンパス)
Edit: 講演・加筆修正:井庭 崇, 文字起こし:坂本 麻美

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